第11回 第一章.ブラックホールを交差したランナー - 竜を家に連れて (遅れてきた、津軽アイヌ) -

キロス田中桜子

悪いものは皆持っていく

 海岸町の祖父母と喜良市を訪れた夏から二年ばかりして曽祖母のキクが他界した。一年ほど寝たきりだったばばちゃんを母はよく介護していた。 床ずれをしてつらそうなので向きを変えてやったり、体を洗ってあげたりオムツを替えたり、新鮮な果物をジューサーにかけて汁をこしては飲ませていた。私も母を手伝ってミカンのジュースを絞った。その甲斐があってか一時ばばちゃんは起き上がれるほど回復したのだが、齢には勝てずついに息絶えた。

 ばばちゃんのお通夜は田中の家で行われたが、親戚や近所の者などが集まり賑やかで微笑ましいものだった。九十を超える天寿を全うしたばばちゃんは幸せ者、とお焼香する皆の涙が笑顔ににじんでいた。私は、体調のそぐわない祖母カネの代わりに台所で忙しくしている母や伯母たちの作る精進料理に興味を持ち、ままごとのようにそれを習った。いとこ達も集まって、田中の家はまるで保育所のようでもあった。

 それから何年か経って脳卒中で一年ほど寝たきりだった祖母のカネが他界した。未だ六十代半ばであった。伯母たちが交代で面倒を見に来ていたが、長男の嫁である母も曾祖母の時と同様に祖母の介護をした。その頃母は港町の診療所を閉め、父の方を手伝っていたので、私はまた海岸町の家の台所でみかんやキャロットジュースを絞っていた。

 居間とお勝手にはさまれた祖父母の寝室に寝たきりになった祖母の布団が敷かれ、居間の襖を開くと祖母が居間のほうに頭をむけて横たわっていた。いよいよ体力が衰え、食べものもあまり咽喉を通らなくなると、祖父や伯母たちは祖母の口元に耳を近づけて祖母が語る言葉を聞いていた。祖母は唇を動かしてかすかな声をだしていたが、その様子があまりにも異様だった。祖母は閉ざされた襖の背後で、生きているのか、死んでいるのかわからないような動かない状態で居た。息をしているのかどうかさえ定かではなく、見舞いに行くたびに私は死神に会いに行くような怖さを覚えた。

  祖母が亡くなる直前、娘である伯母たちはそれぞれ「虫のしらせ」を受けた。宮前町に住む伯母のミネは台所に見たこともないような大きなネズミが出てきて、逃げもせずじっとしばし伯母のことを見ていたので「もしかして母が」と思ったそうだ。父のすぐ下の妹の伯母のマサノは箪笥の引き出しから白い手が出てくるのを見て、祖母の死を悟ったという。

 祖母の通夜も海岸町の実家で行われた。三角巾を頭に巻かれ白い死に装束を着せられ、お化粧を施された祖母を入れた棺が仏壇の前に置かれ、集った人々が順にお焼香した。伯母たちは皆目にハンカチを当て、従妹たちの中にも泣いている者もいたが、父はと言えば親しげに冗談や、亡くなった祖母の悪口まで平気で言っていた。まるで祖母が未だ身近な存在で、つかの間の別れでしかないと言ったような態度にさえ見えた。親族が一同に顔を合わす本家である田中の家での法事は、なごやかな雰囲気と不思議な華やかさを感じた。私は台所でそうめんのだしのとり方や盛り方を教わったりしながら精進料理を用意する手伝いが楽しかった。

 祖父は死に化粧の整った祖母を見ながら、そばにいた私に「綺麗でしょう」と微笑むように言った。後で聞いたことだが、祖母は亡くなった時祖父の夢に出てきて「悪いものはわが全部持ってゆぐ」と伝えたそうだ。悪いものはすべて祖母がこの世を去るときに持っていってくれたから自分はお陰で健康で長生きしている、と後々まで祖父は先立った祖母に深く感謝していた。

父の痛み

 祖母のカネが亡くなってから、海岸町の旧い家と診療所は取り壊されることになった。新しく私たち家族の住居と診療所を建てるためだった。そのため、独り身になってしまった祖父一は、港町の家に一緒に住むことになった。

 その頃、港町の家には私達の家族と伯母のキミの家族との二世帯が入っていた。もと母の診療所であった場所は改造され、キミおばちゃんのご主人、そして二人の従姉妹が住んでいた。私は年下の従姉妹の朗子や貴子と一緒にお風呂に入ったり、学校の後でよく遊んだ。キミおばちゃんは手作りのクレープやお赤飯を誕生日に作ってくれた。ご主人の本間さんは背が高く、共同で使っていたお風呂に入りに来るときなど、田中の家の居間の入り口を背を丸くかがめるようにしてくぐっていた。

祖父の部屋には四畳半の元の診療所のスタッフの休憩室が割り当てられた。この部屋は田中家と本間家の世帯の中間にあり、玄関にすぐ出られるようになっていて、プライバシーが保てる位置にあり、私が希望して自分の部屋に使っていたのだが、祖父が来ることになり私は弟と同じ部屋に戻された。こうしてひと時港町の平屋には大人五人子供四人計九人の家族が住んでいた。

 母は父を助けて海岸町の診療所にも通っていたが、相変わらず家では夜になると夫婦の口論が絶えなかった。しかし祖父の部屋も本間家の世帯もドア二つ三つ超えた向こうにあり、夫婦喧嘩の巻き添えを食うのは私と弟だけだった。酔った父は目の前で茶碗を割り、売り言葉に買い言葉の繰り返しで、私は何度も家から逃げたいと思った。時として、家の中は自分の力ではどうすることもできない戦場のようだった。

 ある時、父は片耳が中耳炎でぐおおおんと頭の中でうなる音がすると訴えていた。「生きているのは嫌だ。このまま狂って死んでしまえばいい」と父は嘆いた。「俺の痛みがお前たちにわかるものか」と不満をぶつける父の前で、思わず私はテーブルに置かれたウイスキーの瓶をつかみ、自分の耳にその琥珀色の液体を注ぎ込もうとした。父は「馬鹿なことするな」と怒鳴ってウイスキー瓶を奪い取った。私は父の聞いた耳鳴りの音を自分も聞きたいと思った。父の痛みを自分も解ることを証明したかったのだ。そうすれば、父の怒りは静まるかもしれない、と。幼い私には、両親が争うのも、父が酔って怒りをぶつけるのも、すべて自分のせいに思えたのだった。         

(つづく)

Posted by staff on 12 月 16th, 2009 and filed under キロス・田中桜子, 竜を家に連れて. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response by filling following comment form or trackback to this entry from your site

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