第九話 横笛草子(その4)

【これまでのあらすじ】 
 小松の大臣平重盛に仕える斉藤滝口時頼は、ある時、建礼門院(平清盛の娘、重盛の妹
徳子のこと)の御所に使者として参上し、そこに仕える横笛という美しい女性を見初めた
。それ以来、滝口時頼は、心はうわの空で落ち着かず眠れない日が続いた。その様子に、
乳母は深い同情を寄せ、仲介しようと滝口の手紙をもって建礼門院の御所へ参上する。乳
母は横笛に会い、滝口の手紙を横笛に手渡そうと働きかけるのであった。

 横笛のお姿の、感じよく上品でものやわらかでいらっしゃることは、なんといっても格
別に思えるものであった。
 乳母は
「今は、何をお隠し申しましょう」
と、横笛に語りかけた。
「横笛様にこの手紙をお持ち申したのですよ。ご返事を頂戴してこい、というお方がいら
っしゃるのです」
「それぞれ人の世のならわしは、一本の木の陰にともに宿り、一つの河の水をともに汲ん
でも、前世からの縁があるといいます。ひとしきりさっと降ってくるにわか雨も、ともに
避ける雨宿りも、どれもこの世だけではない縁があると聞き伝えていますよ」
 乳母は、思いつめたように語り続けた。
「いつだったか、小松様のお使いに参上した滝口様が、あなたを人目見申しあげてから、
面影が忘れがたく、深いもの思いで苦しみわずかに呼吸しているといった状態でおります
から、人だけが人を助けうるもの、どうぞお願いでございます」
 さらに、乳母は言葉を続けた。
「助けなかったから小野小町は、人の熱愛が恨みとなって身にしみ通り、最後にはあさま
しい姿になったとか聞いています」 
「とりわけ耐えがたいのは、この恋の道といいます」
「二人の仲の逢瀬のお約束はなさらずとも、一筆のお返事はたやすいことですから、お返
事なさいませ」
と、こまごまと説き伏せるのであった。
 横笛は、表面は何気なさをよそおいながらも、自分の胸一つに思いあまって、女らしく
はにかんでいた。
 そして、横笛は乳母の説明を
(思いも寄らないことよ)
と、わが心に言い聞かせられ、
(深山に立っている木が人に知られず、人を知らないように、何もわからない人が、手紙
を届ける相手を間違えたのではありませんか)
などと、お思いになるのであった。
 横笛は、滝口の詠んだ歌、

「人はいさ思ひもよらじ我恋の下にこがれてもゆる心を
  (人はさあどうかしら、思いも寄らないだろう。わたしの恋心はひそかにあなたを恋
   い慕い、焦がれて、ひそかに思い悩んでいるのを)

 君故に流す涙の露程もわれを思はゞうれしからまし
  (あなたゆえにわたしは涙をとめどもなく流しているが、その涙の露ほどのほんの少
   しでも、あなたもわたしを思ってくださったら、どんなにうれしいだろう)」

 これらを受けて、何かと心がさわぎ、わが身の運命のほどをお思いになるのであった。
 横笛は
(お言葉どおりこのように仰せのあいだにお返事を差し上げましょうか)
と、お思いになるのだが、いっぽう、
(とるにたりないわが身には、どんなにか物笑いでございましょう)
などと、思案なさる。
 乳母は、思慮深い人であって
「横笛様、思いすぎですよ。苦しいお気持ちでいらっしゃるには違いないことでございま
すが、結局、お返事をお出しになるのがおよろしいようでございます」
と、お教えになる。
 そこで、横笛は、お返事に一段と心をこめて

 「埋み火の下にこがるゝと聞くからに消えなん後ぞさびしからまし
  (埋み火のように人知れず心の中で恋いこがれると聞くと、それにつけて、その火の
  、すなわち思いの火があっけなく消えた後は、きっとかえりみられぬかと思うと、さ
  びしくなります) 」

と、お書きになるのであった。
 横笛の滝口へのお手紙は、特に心をこめて書かれた手紙へのお返事なので、心うたれる
言葉が多く、墨付きなども見事である。
 もともと横笛の歌や筆跡などは、誰よりもすぐれて美しく、素養の深さがうかがわれる
のであったが、この歌も、仕立て具合などまで、実におきれいであった。
 書き終わると、手紙の端を結んで、いかにも恥ずかしげに乳母に、その手紙を差し出さ
れた様子は、まことに美しいことといったら、何にたとえようもない。
 乳母は
(滝口様が恋い慕われるのも道理であるよ)
と、思うのであった。
 乳母は、横笛の書いたお返事を受け取って、帰ったのである。

 一方、滝口の方は、乳母が横笛のお返事を持って帰ってくるのを、今か今かと胸を
とどろかせて待っていらっしゃったが、そのときの心中は、あわれなものであった。
 滝口は
(あの方はどうお思いであろうか)
(乳母はわたしの手紙を届けてくれるだろうか)
などと、お思いになると、たまらなくなって、
(こんなに沈んでいては、つらいこと)
とばかり、ひたすら思うこともできず、
(恋しさとつらさの両方に心が乱れ、やすらぐときがないことよ)
などと、お思いになる。

 そうしているうちに、乳母はこっそりと立ち戻り、横笛の書いた手紙をふところから取
り出して、滝口に差しあげる。
 滝口は、これをご覧になって、夢かとよろこばれ、うれしさは何にたとえようもない
ほどであった。
(ああ、この年月、過ごしてきたのは、あの方に会うための神のおぼしめしであったのだ
ろうか)
(これも前世からの因縁というものであろう)
と、お思いになるのであった。

 その後、乳母を通して、二人の間に、たびたび手紙がかわされた。
 そして、ついに思いがつのってこらえられず、逢う機会をもつのであった。
 月光はかぎりもなく澄みきって部屋にさしこんでいる。必死になって横笛への思いを打
ち明けられる滝口に、横笛は心をひかれていらっしゃった。

 年も改まった。
 滝口と横笛は、逢う機会も多い仲とおなりであった。
 すっかり打ちとけた二人は、ひしと抱きあい、深い契りを結んだ。長い夜であっても、
思う人同士の語り合う時間は、またたくまに過ぎていった。
 
 また、小笹の一節というようなあわただしい臥し寝であっても、逢い始めると二人はす
っかり打ちとけた。
 ある時は、里へ退出して、滝口が横笛のもとに通うときがあった。
 また、時には、滝口は
「風邪をひきましたので…」
と、取りつくろわれて人目を忍んでは通われるのであった。

 滝口と横笛は、比翼の鳥(雌雄一体となっているという架空の鳥)や、連理(連なり合っ
てもくめがひと続きになっているという二つの枝)のように、おたがいきわめて仲むつま
じい契りを約束しあった。
 こうして、ほんの偶然に生じた仲と思っているうちに、何年かの歳月を重ねることにな
った。
 二人の仲は、かくそうとしても、人に知られ、いつしか辺りのうわさになった。
 そうこうしているうちに、ついには、父茂頼(もちより。斉藤左衛門大夫茂頼。平家物
語・源平盛衰記による。『尊卑分脈』に以成(もちなり)の子として名が見え、「左衛門尉
従五位下」と注記されている。)の耳にも届いた。
                                    (つづく)

Posted by admin on 1 月 31st, 2009 and filed under 竜を家に連れて. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response by filling following comment form or trackback to this entry from your site

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