お伽草子番外編 — 横笛草子 

おんぞうし島渡(しまわた)り   
萩原 紗枝  

今から四、五百年(ねん)まえ、室町時代(むろまちじだい)には、「おとぎしゅう」というしょくぎょうの人がいました。そのころ、世の中はみだれ、国中でせんそうばかりしていましたが、そのあいまに、いさましい武士(ぶし)の話や、かわった話などをきいて、人々はたいくつをまぎらわしていたのです。それらのお話を本にしたものが「おとぎぞうし」です。

 源(みなもとの)義経(よしつね)は、子供のころ、おんぞうしとよばれていました。
 あるとき、たたかいにかつための方法が書いてある、だいじな巻物(まきもの)を手にいれるため、千島(ちしま)という国に行くことにしました。
 義経(よしつね)は、早風(はやかぜ)というふねを買い、じゅんびをととのえて、海に出ました。たくさんの小さなしまをすぎて七十五日目、義経(よしつね)はへんてこな島(しま)につきました。そこの人たちはみな、せいの高さが三十メートルもあり、しかもその人たちのこしから上は馬で、下は人間だったのです。こしには、たいこをぶらさげていました。
 「もしもし、この島(しま)はなんというのですか」
 「ここは馬人島(うまひとじま)といいます」
 「なぜ、みんな、たいこをもっているのですか」
 「われわれは、あまりせいが高いので、ころんだらおきあがれません。それで、ころんだとき、声が出なければこれをたたくのです」
 
 さきをいそぐ義経(よしつね)は、またふねを出し、八十日あまりたって、ある島(しま)につきました。ここでは、男も女もみんな、はだかでした。
 「もしもし、この島(しま)はなんというのですか」
 「はだか島(しま)です。わたしたちは、あさのきものの作りかたをしらないので、さむくても、しかたなくはだかでいるのです」
 それをきいた義経(よしつね)が、運(はこ)びの印(いん)というまじないをつかって、みなみに向かって三ど手まねきをすると、りっぱなあさぬのが出てきました。

 また七十二日、つぎの島(しま)には女ばかりいて、
 「まあ、うれしい。島(しま)のまもり神(がみ)がきたわ」
 と、いきなり義経をころそうとしました。おどろいた義経がわけをきくと、
 「この島は、ゆうめいな女(にょご)護(にょご)が島(しま)です。二、三百年まえ、男がきたのをころして、まもり神(かみ)にしたところ、それからはよいことがつづいたのです。さあ、みんな、この男をころしてまもり神(がみ)にしよう」
 「まってください。さいごに、だいすきなふえをふかしてください」
 義経(よしつね)がふえをふくと、女たちはうっとりとふえのねにききいりました。
 「これはおもしろい。もっときかせておくれ」
 これはうまくいったと思った義経(よしつね)は、ふえをふくあいまに、女たちにはなしました。
 「わたしには十万人もの兵士がいます。わたしをころしておまもりにするより、その男たちを一人ずつ夫にしなさい。すぐかえってかれらをこちらへよこしましょう」

 それから三十一日め、こんどは三十センチくらいのせいの人ばかりの島につきました。
 「ここは小(ちいさごじま)子(ちいさごじま)島(ちいさごじま)だ。または、菩薩島(ぼさつじま)とも言っている。よる三ど、ひる三ど、ごくらくから、むらさきのくもにのって、二十五人のぼさつがおいでになるからだ。そのおかげで、島(しま)の人は八百才までいきるのだ」
 それはすばらしい。ぜひいちど、お目にかかりたいものだ、と義経(よしつね)がおもっていると、ちょうどそこへ、二十五人のぼさつがあらわれて、うつくしいおんがくをかなでました。

 それからまたかぜにまかせてふねを出し、九十五日めについた島では、二、三十人もの男が手に手に、ぼうや、どくをぬった矢をもって、義経(よしつね)をとりかこみました。
 「やあ、うれしい。今日のえものがきたぞ」
 ついにころされるのかと思いながら、義経(よしつね)は、 
 「ちょっとまってください。ふえをふいてきかせましょう」
とふえをふき出しました。
 「これはおもしろい。もっとふいてくれ」
 みんなは、しずかにふえのねにききほれました。
 「ここは、えぞが島だ。おまえがめざす千鳥(ちしま)の都(みやこ)まで、ふつうのふねでは行けない。いのちはたすけてやるから、ずっとここにいて、ふえをふいてくれ」
 
 十日ほどその島でやすんでから、またふねを出し、七十日たってやっと都(みやこ)につきました。
 かねひら大王のしろは三百メートルもある、たかいてつのへいでかこまれ、うまやうしのあたまをした鬼(おに)がまもっていました。
 義経を見ると、
 「やあ、人間だ。えじきにしよう」
 と言ってとりかこみました。
 かくごをきめた義経がふえをふくと、鬼(おに)はとてもかんしんし、義経を大王のところにつれて行きました。
 大王は、せいは五十メートルばかり、手足は八本ずつ、あたまには、つのが三十本もあって、声はなん百キロさきにもひびきわたるほどです。
 「巻物(まきもの)がほしいというのはおまえか。おまえにいったい、なにかできることがあるのか」
 義経(よしつね)は、くらまの天狗(てんぐ)からならったまほうを、ぜんぶやってみせました。
 「かんしんなやつだ。それでは少しおしえてやろう」
 大王は、すがたを鳥(とり)にかえてとぶまほうや、きりを出してすがたをけすまほうを、おしえてくれましたが、あとはけっしておしえてはくれません。
 どうしたものかとこまっていると、大王のむすめ、朝日(あさひてんにょ)天女(あさひてんにょ)が、義経(よしつね)をきのどくにおもい、巻物(まきもの)をぬすみ出してくれました。義経(よしつね)はよろこんで、三日かかってまきものをすっかりうつしました。
 ところがふしぎなことに、うつしおわったとたん、もとのまきものにかいてあった字がきえてしまったのです。
 天(てんにょ)女(てんにょ)はこれを見て、
 「これはわるいしるしです。わたしはきっと父にころされるでしょう。あなたは早く、国にかえりなさい」
 と義経(よしつね)にすすめました。
 「あなたがいなくなったら、父はきっと大ぜいでおいかけて行くでしょう。そのときは、塩山(えんざん)のまほうをおやりなさい。そうすればうみの上にしおの山ができて、おってのじゃまをします。それでもだめなら早(はやかぜ)風(はやかぜ)のまほうをやりなさい。ふねはかぜのようにはしって日本へかえれます」
 義経(よしつね)は天(てんにょ)女(てんにょ)にいっしょににげることをすすめたのですが、どうしても行かないと言います。しかたなく義経(よしつね)は天女とわかれ、こっそりふねを出しました。
 とたんにあたりはまっくらになり、火の雨がふり、かみなりがなりひびきました。おいかけてくる大ぜいの鬼(おに)たちから、天(てんにょ)女(てんにょ)にならったまほうをつかってにげのびた義経(よしつね)は、七十五日かかって、日本の土佐(とさ)のみなとにかえってきたのです。
 義経(よしつね)は、おぼうさんをよんで、お経をあげて天(てんにょ)女(てんにょ)のめいふくをいのりました。

 こうしてまなんだ大日(だいにち)の兵法(へいほう)のおかげで、義経(よしつね)は、おもうままに、平家(へいけ)をほろぼし、源氏(げんじ)のよの中にすることができたのです。  

広滝道代先生のお伽草子「横笛草子」は、来月号から再開されます。お楽しみに。

Posted by staff on 9 月 24th, 2009 and filed under お伽草子. You can follow any responses to this entry through the RSS 2.0. You can leave a response by filling following comment form or trackback to this entry from your site

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