今年は大雪と長雨で波乱の幕開けになったと思っていたら、なんと新型インフルエンザが登場してしまった。一旦はぎょっとしたものの、カナダ政府の対応も人々の反応も実におっとりしたものだった。日常生活は何一ついつもと変わるところはなかった。ところが、カナダの冷静な対応に比べて、日本の騒ぎはものすごく、CNNやローカル新聞などで恰好のネタにされてしまった。
成田に到着した飛行機の乗客が感染を疑われたことで、周りに座っていた人々が1週間ホテルに缶詰にされた。テレビやインターネットのニュースでは、細菌テロ用の防護服のようなものを身にまとった係官が空港内を走り回る様子が映し出された。日本政府は「水際で阻止」とすごい意気込みだったが、世界中を飛行機が飛び回り、あちこちを経由して旅行者が行き来する現代で、発症した地域からの飛行機だけを厳重検疫したところで、一体どれだけの効果が期待できるのだろうと思ったものだ。案の定、渡航経験のない人に感染者が出て、水際の大騒ぎは一気に沈静化した。
しかしそんなのは、たいしたことではない。海外の人に嘲われてちょっと恥ずかしい思いはしたものの、日本の人たちは一生懸命だったのだからしかたない。
問題なのは、その後の騒ぎだ。ニューヨークで行われた模擬国連に参加した生徒が発症したという理由で、高校の学校長が記者会見し、涙ながらに謝罪した。謝罪を強要する脅迫じみた電話やメールがあいついだというが、なぜ謝る必要があったのかわからない。ただでさえ周囲の様子にショックを受けている生徒たちの心の傷を、校長が謝ることでさらに抉っているのではないか。この出来事の裏には、日本人が感染症の患者をまるで犯罪者のように見るメンタリティが見え隠れする。かつてのハンセン病の問題をはじめ、どうも日本にはそのような気風があるような気がしてならない。校長の謝罪は、そうした傾向を助長する結果になってしまいはしないだろうか。
一方では、WHOがあまり効果がないと言っているマスクが売り切れ、買い占められて高額で取り引きされている。
今回の新型インフルエンザに対する日本人の反応は、日本の社会の根底に流れるもっと根の深い問題を浮き彫りにしたようだ。
ついでに言うなら、あの大騒ぎによって、それまでテレビで連日のように取り上げられていた、増え続ける失業者やホームレスの問題、不景気不景気という掛け声が、まるで夢だったかのように消えてしまったことも気になる。日本政府を筆頭に、メディアがこぞって新型新型と騒いだ裏に、何かが透けてみえるような気がするのは勘ぐりすぎだろうか。
(エディター: 宮坂 まり)