愛戸のぞみ
3月。別れの季節に。
3月13日、娘の幼稚園の担任の先生との最後の日となった。
Ms.Ngは出産のため一年の休暇をとることとなった。涙もろい私は、Ms.Ngに感謝の言葉を言って抱擁したとき、ほろりと涙がこぼれた。去年の9月から、娘が初めて幼稚園に通い出したとき、午後の2時間とは言え、不安があった。娘は新しい環境に慣れるのに時間がかかる性質で、4歳の時は、1年間、英語のpreschoolに通っていなかったこともあり、親の私も心配で緊張していた。Ms.Ngの評判は良く、娘はすぐ大好きになり、冬休みの始まりの時、学校が休みでMs.Ngに会えないのを悲しんでいた。
家に帰ってくると、Ms.Ngのまねをして「グッドモーニング、ボーイズ エンド ガールズ」と言って、白板にいろいろと書いたり、紙を貼っては先生になりきっていた。娘の部屋のドアにはクラス写真が貼ってあり、いろいろな切り抜きを集めて自分の教室のようにしている。娘はMs.Ngに心酔しており、ママよりも先生の方が好きと言って私を落ち込ませたりした。
そのMs.Ngが春休み前にお別れすると聞いたとき、娘は泣いた。こんなにすかれる先生も幸せであるが、娘にとって初めての学校生活で、このようなすばらしい先生に出会えたことは幸せだったと思う。時々、ボランティアでクラスのお手伝いをしたが、Ms.Ngは時間に厳しく、指示も的確で、9月当初、混とんとしていたクラスが、半年の間にみるみる統率されて、静かに先生の指示を待つことができるようになっていた。ハロウィーンにかぼちゃ畑にスクールバスで行ったとき、とても寒くて、外を歩きまわっていて先頭になってクラスを引率していたMs.Ngが、2日程病気で休んだ。その後、Ms.Ngが妊娠していたことを知った。きっと、無理をして寒い中歩き回って疲れたのだろう。責任感の強い先生で、30歳前後の若い先生であるが、いつも冷静で、声は低く威厳のある話し方をした。SFUのマスターコースも勉強しており、クラスのリサーチをしていたようだ。彼女のクラスが朝一番早く戸が閉まり、また時刻通りに戸が開いた。私の娘は、私と同様、朝が苦手で、いつも遅刻気味で走っていた。レポートカードに遅刻が何回かあるのは、私の反省するところである。
Ms.Ngが優しい人であるから、生徒もとても彼女を好きだったと思う。その優しさが現れた私との会話がある。1月の寒い日、パレードで、子供たちは外に立たなければならなかった。私は、とても寒い天気を心配し、雨の中でもパレードに参加しなければならないと聞き、風混じりの雨天の中、Ns.Ngに相談しようと思った。「こんな雨風が明日も続いたら、私は子供を登園させないかもしれない」と言ったところ、先生は、「私にもし子供がいたら休ませるだろう」と小声で言った。私は、それを聞いて安心した。次の日は、晴れて寒かったが、皆でシャボン玉を吹いて、無事パーレドを終わることができた。Ms.Ngは、子供たちの先頭に立って笑顔で歩いていた。その姿は、キラキラと輝いていた。テリー・フォックス・ランのときは、500段ある階段を生徒と一緒に上り下りして、ディアレークの公園に歩いて行った。きっと、丈夫な賢く優しい赤ちゃんが生まれることだろう。
来週出産するはずのMs.Ng、母子共に健康でありますように。Ms.Ngの赤ちゃんを早く見たいと、私は楽しみにしている。うさぎの絵の壁掛けを贈った。
ピョン吉とゆうりんちゃん その1
ある日、ゆうりんちゃんは、ママと公園に行きました。すると、たった一人で大きな黒い帽子をかぶった男の子が、すべり台で遊んでいました。ゆうりんちゃんは、その男の子がこわかったのですが、誰もあそぶ子がいなかったので、その子に、「名前はなあに」と聞きました。その子は、「ピョン吉だよ」とはずかしそうに小さな声で言いました。「おうちはどこなの」と聞くと、「きのこのいっぱいはえているところだよ」とうれしそうに笑って言いました。ゆうりんちゃんは、すぐにピョン吉をすきになったので、「いっしょにあそうぼう」と言いました。ピョン吉は、「じゃ、ブランコをしようよ」と言って、二人でしばらく遊びました。
ゆうりんちゃんのママは、いすにすわって本を読んでいました。しばらくすると雨がふってきたので、ママが、「ゆうりんちゃん、帰るよ」と声をかけました。ピョン吉も、「もう帰らなくちゃ」と言って、走って行ってしまいました。ゆうりんちゃんはママに「ピョン吉君と友だちになったよ」と言いました。ママは、「だれもいなかったのに。その子はだれのこと?」とゆうりんちゃんに聞きました。