日本の企業社会

ドラッカーとリーダーシップの考察

リーダーシップがリーダーや管理職だけに与えられているものではない。

日本は政権交代後、混迷の度を一段と強めており、首相のリーダーシップが問題視されていますが、それでは企業社会ではどうでしょうか。強いリーダーシップが依然として求められてもいますが、一方で、新しい潮流も生まれつつあります。

企業では従来、トップの経営手腕次第でその運命、従業員の幸せが左右されてきましたが、「マネジメントの巨匠」と称されるドラッカーは、今後はそうではないと指摘しています。今回はこの点について、ドラッカーの考えを中心に見ていくことにしたいと思います。

ちなみに伝統的なリーダーシップ研究では大局的に、従業員中心型と仕事中心型のリーダーシップのいずれが望ましいかが検討され、従来、人間中心型のリーダーシップが望ましいとされてきましたが、近年では、仕事内容やリーダーと部下の人間関係などによって最適なリーダーシップは異なると考えられるようになりました。すなわち、リーダーにとって状況がきわめて好意的である場合(部下がリーダーを信頼し、仕事が明確に定義され、かつリーダーの公式的な権力が大きい)と、その逆にきわめて非好意的である場合には、仕事中心型のリーダーシップが望ましく、好意的と非好意的の中間に状況が位置する場合には、従業員中心型のリーダーシップが望ましいとされます。

ドラッカーは次の指摘のように、リーダーの資質をきわめて寛容に(?)受け止めています。

「優秀な経営者、優秀なリーダーとは、どのような存在なのでしょうか?(中略)私は70年に及ぶ長い歳月で、幾人ものリーダーたちと交わってきました。彼らの誰もが個性的で、誰一人として似ている人はいませんでした。この経験から私が理解したのは、『人はリーダーに生まれない』という事実です。生まれついてのリーダーなど存在せず、リーダーとして効果的に振る舞えるような習慣を持つ人が、結果としてリーダーへと育つのだ、と」(『ドラッカーの遺言』)。

さらに、ドラッカーは次のようにも言っています。

「自らのマネジメントに天才やスーパーマンを必要とするようであっては、いかなる組織といえども存続はできない。ごく平均的な人間によるリーダーシップで十分なように組織されていなければならない。」

それでは、ドラッカーはリーダーシップをどのように考えたのでしょうか。この点についてドラッカーは、「組織の使命を考え抜き、それを目に見える形で明確に確立することである。リーダーとは、目標を定め、優先順位を決め、基準を定め、それを維持する者である」と述べています(『プロフェッショナルの条件』)。

また、ドラッカーは、リーダーとしての組織への忠誠を重視して、次のように言及しています。

「自らよりも組織を優先し、自らの行動を組織としての基準に合わせるという組織の精神が不可欠である。リーダーには、組織への責任と部下からの信頼が必要である。」

ドラッカーは、責任と信頼があってはじめて普通の人間が、あるいは平均以下のものであっても、リーダーシップを発揮できるとしています。

とりわけ、効果的なリーダーシップを発揮する上で、「信頼」は重要なファクターとなります。

「信頼」こそが、今の時代に最も早く成果に結びつくものであり、人と人との良好な信頼関係の形成が企業経営の成否を決定づけるキー・ファクターなのです。実際、ある調査では、経営陣を信頼しているのは社員の51%であり、リーダーの行動に誠実さを感じる人は社員の36%でしかないということが判明しています。

このように、現代の組織において信頼関係が希薄化しつつあります。

また別の調査によると、信頼関係が高い組織は、低い信頼組織の組織に比べて株主への配当がおよそ3倍というデータもあります。

ここで注意すべきは、リーダーシップがリーダーや管理職だけに与えられているものではないという点です。すなわち、全従業員の個々人がリーダーシップを発揮して、みずから主体的に行動すべきです。文字どおり、一人ひとりが一騎当千の思いをなして、組織に貢献することが重要なのです。

ともかく、「あらゆる意思決定のうち人事ほど重要なものはない。組織の能力を左右する。したがって、人事は正しく行わなければならない」(『変貌する経営者の世界』)のです。

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