窓を開ければ港も見える

小説家の出社拒否症

「黄金町バザール」で僕のガラス張りのスタジオはたくさんの人が覗いてゆく。 「食あたり」ならぬ「人あたり」になったようだ。

バーラード・インレッド バンクーバー

朝食が終わると午前中は運動と家事をして過ごす。

家の近くの公園でストレッチをしたあと、シャドウ・ピッチングやシャドウ・ボクシングをする。近ごろは体調がいい。ボールを投げる動作をしても反らせた身体が軋まない。何より、片足をあげて振りかぶるときの身体のバランスがいい。インナーマッスルが鍛えられた感じがする。

暑すぎた夏が終わって、片道三キロ弱の仕事場まで自転車通勤から徒歩通勤に戻した。歩くのと歩かないのとでは大違いなのだ。

運動を終えてシャワーを浴び、その間に仕掛けておいた洗濯機から衣類を引っ張り出して干す。食器棚の扉を全開にして、洗い終わった食器類を洗浄機から戻す。空になった食洗機に、台所のシンクに折り重なっている食器たちパズルの如く並べる。スペースができたシンクで鍋やフライパンを洗い、IHヒーターの周囲や配膳台を布巾できれいにする。それ以外に、寝具の洗濯やゴミ捨てなど、不定期の家事があったりなかったりするから、家事を終えるとだいたい昼になっている。

そこですぐに家を出れば遅くとも午後一時には仕事場に着いているはず。ところが実際のスタジオへの出勤時間はどんどん遅くなって、最近では午後四時頃になっている。

やっと気づいた。どうやら出社拒否症。仕事場に来たくない症候群。

八月始めから十一月始めまでの三ヶ月間、仕事場のある黄金町界隈では「黄金町バザール」というアートイベントが開催されている。この界隈にアトリエをもつアーティスト(「アーティスト」ではないけど僕もその一人)や公募アーティスト、招待アーティストの作品が町のあちこちに展示されていたり、スタジオが公開されている。

もともと黄金町は町興しのためにアーティストを誘致した。空き家だらけで人通りのない町に、芸術家たちを呼び町に活気を取り戻そうという運動をしなければならないほど、町には人がいなかったのだ。

「黄金町バザール」は今年が四回目だ。僕が黄金町に来てからは三回目になるが、年々、訪問者が増えている。今年は別の大イベントである「横浜トリエンナーレ」の提携プログラムにもなり、会場間を結ぶシャトルバスが来るようになったから、十五分おきにバスが着くと、人がどどどと音を立てんばかりに吐き出されて来るのだ。

僕のガラス張りのスタジオの前までやって来て中を覗いていく人の数も、毎日数十人から数百人に達する。かつてイベントのない平日には誰も来ないのが当たり前だったものが、いまでは平日でも数十人になる。

「覗かれて気になりませんか」と訊かれて、いままでは「全然平気です」と答えていたのだが、いつのまにか許容限度を超えていた。

はじめは自分でも気づかなかった。

ふと家を出るのをためらう自分がいたり、家を出てもまっすぐに仕事場に向かわず、遠回りをしたり、途中のカフェでまず読書をすることが多くなっていた。スタジオに着くのはいつも午後遅い時間で、仕事を始めると秋の日はすぐに落ちて暗くなる。当然、仕事は進まず、テンションを出せない自分を嫌悪する日が多くなっていた。

その原因に突然思い至った。「食あたり」ならぬ「人あたり」。知らぬまに仕事場の周囲にたくさん人がいる環境を嫌っていた。そして、確かに集中力がどん底まで下がっている。

夏から秋へ季節が移り、体調がよくなったが、気づかないうちに心のコンディションは最悪になっていた。心の健康には自信があった僕だが、気づいてしまうとかなりのダメージを実感している。

あと数日でイベントは終わる。やれやれ。お祭りが大好きだったはずの僕が、いまではそれを心待ちにしている。

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