竜を家に連れて

第32回 第三章 III. 龍の頭

これからいよいよ、故郷の北海道、函館に向かうのだ。

赤倉のカミサマ(2)

三内の遺跡の発掘場を歩いていると、雨がぽつり、ぽつり、と降り出した。広島以来、私はどうも雨女の役割を与えられたようで、実は青森駅に降り立った時から雲行きが怪しかったので傘を駅前で手に入れて持ってきていた。それで始めのうちは傘を杖のようにしてつきながら、歩いていたのだが、だんだんと本降りになってきた。それにもめげず、私は一時間くらい、ぶらぶらと発掘現場付近を歩いた。随分強い磁場が働いているようで、足元の大地が不思議と熱く感じられ、歩くにつれ自分が過去に吸い込まれるように逆に年を取ってゆき、随分老齢な存在になったかのような錯覚に陥りかけた。五百円の傘は、蛇の姿をした杖といったところか。

初めて訪れた三内は、静かで、人影も少なかった。掘られた土も、乾ききっておらず、生々しい雰囲気が漂っていた。十分な説明文のない展示物は、それ自体の存在感で私を圧倒した。空気のにおいでさえ、体の中に響くようななつかしさだった。また来ますから、よろしく、と見えない先祖にそっと告げて私は三内を去った。

ぐおおおおおおん
ぐおおおおおおん

かつてワたちの祖先は
土偶ば作り、
命の再生ば願ってその
頭ば割り、
手足ばもいだ。
バラバラにこわされた形で
出土する
縄文の土偶に
こめられた
人肌の
ぬくもり。

呪術とは
いのちから
はじまり
いのちへと
つなぐ
種の祈り。
だが
ナガサキよ、
廃墟ばとどめる
ひきさかれた現代の土偶の群れよ、
答えてほしい。
すべてを
破壊しつくす
核の
呪術とは
何か。

津軽海峡

青森駅に戻り、駅ビルで昼食をすませてから、私は海峡線に乗り込むことにした。これからいよいよ、故郷の北海道、函館に向かうのだ。当時は携帯電話など持ち歩いていなかったので、駅の公衆電話から実家に電話した。両親は未だ仕事中で忙しく、迎えには来なくていいから、と念を押した。

津軽海峡は、海と名前がついているけれども、昔から地元の人にとっては川を渡るようなものだった。「しょっぱい川」と呼ばれてきた、その水の流れはプラキストン線のように北海道と本州を分断するものではなく、繋ぐものであった。水路は、昔のハイウェイだ。晴れた日には対岸の地形が北側と南側の両サイドから見え、まるで泳いで行けそうなくらい、近くに感じる。青函連絡船などない頃は、海峡を越えて嫁いで行った娘達は、子供が生まれると「テッコ(手漕ぎ)船」に子供を乗せて自力で漕いで里帰りしたそうだ。また昔、函館の大門に大きな遊郭があって華やかだった頃、津軽の海浜沿いの村の若者達は、夜になると対岸の花町の灯りを目指して磯船を繰り出し、一晩遊んで翌日には戻ってきたという。

海峡線はしばらく、蟹田駅、津軽今別駅、竜飛など、変わった地名が連続する津軽平野を通ってから海底トンネルに入ってゆく。蟹田の語源は今ひとつ解らないが、今別は川を表すペッのつく地名で「イ・マ・ペッ(それを・焼く・川)」、竜飛は「タンパ(刀)」の転化のようだ。山田秀三は、「ウタ/ウダ」「メナ」「イソヤ」「カマヤ」「ヤゴシ/ヤクシ」「ウソリ」などのつく津軽海峡南北の同名アイヌ語地名を調べ、言葉に関して言えば津軽海峡はひとつのまとまった地域を成していると言う。しかし、多くの「有識者」は本州サイドのアイヌ語やアイヌ文化について、近世に北海道のアイヌと交わった和人が流行として蝦夷風俗を真似たもの、などと言って鼻にもかけない。喩えに戻るが、アイヌ語を話す人々の龍体が津軽海峡でぶっちぎられたのなら、私はその首の付け根のあたりで生まれ育ったというわけだ。ならば、アテルイの首を胸に、私は、ばらばらになった龍の胴体と頭を、何とか繋ぎとめようと、北に向かっていたわけだ。

ぐおおおおおおん
ぐおおおおおおん

津軽海峡の海底に掘られたトンネルを通過しながら私は、線路の軋みとは違う唸り声を聞いたような気がした。アイヌの舞踏の中で、男達が咽をならして出す、深い長い叫びの声、窮地に陥った時カムイの助けを呼ぶ声に似ている。かつてつながっていた共同体を無理やり引き裂き、破壊した暴力に対して、「不正を正せ!」と叫び続ける、地底から湧きあがるような唸り声。記録から葬られ、やがて人々の記憶から忘れ去られた存在たちが伝わってくる。

ワの魂にふるさどば 帰せ!
ワの魂にふるさどば 帰せ!

ぐおおおおおおおおおん
ぐおおおおおおおおおん

アテルイよ、
戦ささ敗れて
彷徨ったあげくに
まだジョウブツできねえ
おめえ
辛いべな。
あのキリストさまのことさ
いちばんよくわがっているのは
娼婦と後ろ指差された
マリアだと聞ぐが
ワがおめのマリアだったなら
アテルイよ、
おめの生首さ抱いて
滴る血の最後の一滴乾き果てても
離さねえ
許さねえ
おめの魂がワから離れることばかりは
死んでも
許さねえ

それでも
おめは飛び続けるのか、それでもおめは
彷徨いつづけるのか?

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