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インタビュー特集 4 冒険家 荻田 泰永さん

1945年から48年かけて、イギリスのフランクリン隊が2隻の帆船に129人乗ってここを旅した。でも、一人も帰ってこなかった彼らの跡をたどる冒険旅行。

北極圏徒歩冒険旅行
氷上に消えたフランクリン隊129名の足跡をたどる

荻田 泰永氏
「根拠のない自信を持つことも大事です」

冒険を始めたのはいつから?

荻田: 2000年からです。以後ほとんど毎年北極に行っています。たいていは寒い時期に行くのですが、今回は7月6日まで歩いてきました。

今年はどういうルートで?

荻田: 2ヶ月分の食料や燃料100kgほどある荷物をソリに載せて、自分で曳きながら凍った海の上を歩きます。60日間、村を2つ経由してきました。北緯75度くらいのところにあるレゾリュートという人口200人ほどの村を出発点にして、ジョアヘブンまで60日かかって1046km南下。無人地帯で一面海が凍った風景、気温はマイナス40度になります。夜になるとテントを張って休み、朝になるとまた歩く、というスタイルです。
ジョアヘブンでは10日ほど休養して、さらに北米大陸のツンドラ地帯を歩いてベイカーレイクまで560km、43日かけて南下しました。

旅行中の食料は?

荻田: 食料は主に乾燥したものや、軽いものを持っていきます。狩猟をしながら旅をするというのは基本的にはしません。予測できないからです。イヌイットの場合は定住しているので狩をあてにできますけど、無人地帯を何百キロもいくのに、獲物がとれるかどうかわからない狩をあてにするわけにはいきませんから。すべて計算してもって行きます。最初に計算した日時は、大きくは狂いません。何度もやっていると予測もたちますし、多少余裕を考えて持っていきます。

危険な目にあったことは?

荻田: 北極グマはたいして害はないのですが、個性や状況によって危険なときもあります。好奇心が旺盛なので、どんどん近寄ってくるし、テントを揺らして確認に来るんです。そいいうときは、大声を出したりフレアガンを撃って威嚇したりして追い払います。

突然現れた日本人に村人は驚きませんか?

荻田: 驚きますよ。歩いてきたっていうとすごく驚きます。日本人は顔もよく似ているので僕はイヌイットと思われるようです。彼らは白人に虐げられていた歴史もあるので、あまり白人を好きではないようですが、同じ顔をした我々日本人にはとてもフレンドリーで、いろいろと面倒をみてくれます。彼らは基本的に旅人はウェルカムなんです。人口が少なくて、家族単位で生活していましたから、外部からの血を入れるために旅人を受け入れるという民族性があるんじゃないかな。

今回このルートを選んだ理由は?

荻田: 過去の探検隊の足跡をたどるということをテーマにしたんです。1800年代から北西航路の探検が始まったのですが、1945年から48年かけて、イギリスのフランクリン隊が2隻の帆船に129人乗ってここを旅しました。でも、一人も帰ってこなかったんです。無線もない時代で、記録も残っていない。彼らがどのように遭難したか、わかっていません。実は後に10日間ほど捜索隊が出て、隊の痕跡を見つけてはいたんです。イヌイットの証言をたどっていって、キャンプの跡や、飢えて仲間の肉を食べた跡などをみつけたんです。でも、その後、結局最後の一人の足取りも消えてしまいました。僕は、そのフランクリン隊の足跡をたどり、彼らがどういう風景を見たのかを見てみたいと思ったんです。

冒険を始めたきっかけは?

荻田: 一旦は大学に入りましたが、2000年に中退しました。目的がなく、何をしたらいいかわからなかったんです。それである日、ぼんやりとテレビを見ていたら、大場満郎さんが出ていた。北極や南極を歩く冒険をする人らしく、番組では、翌年に若い人を10人か15人連れて北極を歩こうと思っている、と言っていました。それを聞いてなんとなく行きたくなって、大場さんに手紙を書いたんです。そしたら、「今10人くらい集まって月1回ミーティングをしているから、話だけでも聞きにきたら?」というお返事をいただいたんです。それがきっかけでした。
何かをやってみたいという思いが強かったんですね。当時22歳でした。同じ年代の若者が9人集まって、レゾリュートから北磁極まで700kmを35日かけて歩きました。それが、初めての北極で、初めての冒険、そして初めての海外旅行です。
翌年から、一人で行き始めました。それからは毎年、半年アルバイトして半年北極旅行。その都度500kmとか1000kmとか歩きます。

なぜいつも北極なのですか?

荻田: 北極しか知らないからかな。きれいな景色を見たいわけではなく、何かに挑戦したいという思いを満たしてくれるのが北極だったんです。毎回ルートを決めて挑戦します。繰り返すことによって、北極の面白さ、イヌイットの文化、野生動物のことなんかを知って勉強になったり刺激になったり。そしてもっと深く知りたいと思うようになりました。

北極でソリを曳く
歩いていて後悔したことは?

荻田: 毎日ですよ! とにかく辛いんです。重いソリを曳いていると、オレ、なんでこんなことやっているのか、と思う。1分1秒でも早く終わりたいと思っている。 なぜやっているのか・・・。自分でもわかりません。とにかく大変で、やりたくないという気持ちもある。でも、日本で惰性のような生活はしたくない、いつも走っていたい、という気持ちがあるんです。

緊急用の衛星電話を使ったことは?

荻田: 2007年、テントの中で火事を起こしてしまい、両手を大やけどしました。そのときはSOSを出して救助されました。

冒険家になってよかったと思うことは?

荻田: なぜ生きているのかをよく考えるし、普段都市で生活していては気づかないようなことも気づくようになりました。
我々の世代は、先が見えませんでした。不況、不況の声ばかり聞いて育ち、大学時代は就職氷河期。頑張ってもいいことなんてないんじゃないか、という風潮がただよっていました。諦めムードで、何をやるべきかが見当たりませんでした。
ほかの選択肢もあっただろうし、どれを選んでも面白さはあったと思います。ときにはそっちの道を見てみたいと思うときはあります。

10年間北極を歩いて、温暖化による変化は?

荻田: すごくあります。氷の面積はかなり減って、薄くなっています。10年前に氷があったところが今は海です。ルートを決めるときは衛星写真でチェックします。

資金はどうするのですか?

荻田: 北極行きは登山よりもお金がかかります。北極圏に行くまでの飛行機などの移動費も、宿も高いです。物価もすべて空輸ですからかなり高いです。ですから日本では、アルバイトでお金をためます。工事現場や、ガソリンスタンド、ウエイター。仕事は選ばなければありますから。

やっていてよかったことは?

荻田: 歩いている間はひとりだけど、その裏には助けてくれる人がいる。そういう人たちの手助けがないとひとりでは何もできません。若いときは、オレは一人で生きているんだという思いがあったけど。

今後やりたいことはありますか?

荻田: 次は、無補給単独で、北極点を目指します。日本人では初、世界で成功したのは3人しかいません。
これは、自分の資金だけでは無理なので、スポンサーを探さなくてはと思っています。それを探すのも経験だと思いますし。
これまで10年間、自分のお金でやってきましたが、それは自分だけの自己完結。自分のためだけに自分で動いているのであって、しかも北極のことしかわかりませんよね。でも、自分は社会に生きているのだから、やってきたことを社会に伝えたいと思うようになりました。そのためには北極のことだけ知っていても伝わらない。北極も社会も知って初めて自分の言葉が通じるのだと思うんです。
それから、自分がかつての大場さんの役割を担いたい。かつての僕みたいににえきらない生活を送っている若者を連れて行って、一緒に冒険してみたい。

若者へのアドバイスをひとこと。

荻田: 根拠のない自信を持つことも大事、ということかな。自分が何かできるはずだ、理由も根拠もないけれど、そういう自信を持って覚悟を決めて違う世界を見てみると、よい経験ができて世界が広がると思います。今の若い人は外に出たがりません。世界に出ると面白いぞ、ということも広めていきたいです。

極寒、北極での荻田 泰永氏

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