最後のタイ旅行 その4 タイの最北端の町
「良かったわ、未だタイの中に行きたい所があるなら、元気になったらもう一度お出掛けになる理由が出来たではないですか。」まじめに言う彼女の言葉は、一寸ふさぎ気味だった僕の心を少し前向きにしてくれた。
「サルの洞」寺から指呼の間のタイ最北端の都市、メサイは意外なほど賑やかな町で、税関と接する繁華街は地元の人に混じってヨーロッパ系の旅行者が目立った。地元産の手芸品や宝石類や衣類を売る店が多いが、僕はそれより、目抜きの路に立つビルに気を取られた。毎年3ヶ月住んだタイ中部の田舎町に較べて、この最北端の町の中心は遥かに美しい、4、5階建て、カビも生えていないビルが並んでいた。税関は賑やかで、外国人観光の盛んな事が町の活気を保っているようだ。小さな川を隔てた異常なくらい静まりかえるミャンマーの町、タチレークは観光者も殆ど見えず、今NGOによる支援運動が行われて居る。
メサイを少し歩いてみたいと言うと、運ちゃんは市役所のパーキングの脇のちょっとした隙間に三輪車を停め、繁華街の西の丘に僕を導いた。ミャンマーと接するその丘の下に来て、「モーターバイク?」と聞く。数台のバイクが並んでいるので一台借りるのかと思ったら、それらは丘の上まで人を乗せる商売で、近くにいる数人の僕より若い年寄りがバイクの持ち主、1人10バーツ(約30セント)で百メートルほどの丘の上まで時計廻りで丁度一回り半で頂に着く。道は急勾配でバイクの後部席に跨るとずり落ちそう、爺様が爺様に抱きつくのも変なので、僕は爺さんのズボンのベルトを探し当ててそこを握って耐えた。その爺さんは丘の上を歩き回った僕たちを20分ほどをちゃんと待っていてくれた。
丘の上からはミャンマーの谷間に出来た町、タチレークが一望できる。綺麗な2、3階のビルの間に寺院が散在して静まり返って人っ子一人見えず、こちら側、メサイの町の活気と対照的だ。登ってきた丘の上には小型で豪奢な寺「ワットプラタットワイダオ」があり、その展望台には、当時のタイのナレスワン王が、繰り返し侵攻して来たミャンマーの軍勢から国境を守った証として、体長5メートル程の黒いサソリの像がミャンマーを見据えて建っている。これが旅行中に見たたった一つの、ミャンマーに対するタイの怒りのしるしであった。細い川一本を隔てて、タチレイクの静けさと、メサイの町の活気の差を見ながら世の争いの無意味さと、それを辞められない人間社会の不合理さが情けない。
その横に直径1.5メートルもある大きな鐘が木枠から下がっていて、運ちゃんがその真ん中のふくらみを両手でこすって見せた。4、5秒こすり続けると微かにドラムから「ブーン」と腹の底に響く微かな音がうまれ、こするにつれて次第に強くなる。それを聴いて人だかりが出来たところで、彼は僕にやってみろと指をさすので、「ドレッ」と試してみたが蚊の鳴くような音しか出ない。こする強さと速さの加減なのか、それを見ていたドイツ人らしい女性も試したが音は僕より更に出なかった。
体力を無くして当初の予定の半分しか出来なかった旅、まあ、未知の土地を見られたし、これでも良いか、と半分諦めながら車に揺られて田園風景をぼんやりと見ていると突如急ブレーキが掛かった。ハイウエイの真ん中にあるゲートから出て来た若いお巡りさんに運ちゃんが「イープン、イープン」(日本人、日本人)と大声で叫ぶ。それだけで簡単に納得したお巡りさんは僕を見て笑顔で手を振った。僕も手を振るとそのままトゥクトゥクはスピードを上げた。この難民的な出で立ちの僕をミャンマーの難民とは見ない警備はあれで良いのかなと思ってしまうが、そこもタイの良さか。
メサイがこれだけ観光化されていたことは唯一つの予想外、やはり観光地の住民は旅行者と一線を隔すので、人との接触は運ちゃんとの出会いと、チャンライの町の食堂の夕食以外には出来なかったのが心残りだった。夕闇の迫りはじめた野面には花が咲き、蝶が舞っていた。その夜泊まった新しい近代的なホテルで食堂のドアーを開けようとするとフロントの若者が、レストランは閉まっているのでルームサービスをする、とレストランのメニューを持って跳んで来た。メニューを読むのも面倒になって一番良く知られた「パットタイ」を注文すると結構美味しく、田舎とは思えない立派な部屋でこの旅行最後の晩餐は終わった。
もう10時間のVIPバスは沢山なので、帰りはバンコクまで飛行機で1時間半足らず、朝空港に出て切符を買った。前に働いた企業の管理職の人が、連絡しておいたとおりすっかり慣れた新空港に迎えに来てくれていた。僕の最後のタイ旅行が未完に終わったことを伝えると、「良かったわ、未だタイの中に行きたい所があるなら、元気になったらもう一度お出掛けになる理由が出来たではないですか。」まじめに言う彼女の言葉は、一寸ふさぎ気味だった僕の心を少し前向きにしてくれた。