日本の企業社会

経済不況化における指針

百年に1度といわれる経済不況に直面して、私たちはどのように行動すべきか。

いまや世界の多くは、米国発の金融危機にともなう「百年に一度」の経済不況に見舞われています。
今回は、読者からのご要望に応えて、多少とも、その実情や今後の見通しなどを改めて考えてみましょう。

周知のとおり、昨年9月15日に起きた米国の大手投資銀行、リーマンブラザーズの破産以後、瞬く間のうちに世界的な規模で、経済状態が著しく悪化しつつあります。たとえばILO(国際労働機関)は先月末の報告書で、最悪の場合、今年の世界の失業者数が最大2億3000万人に達する恐れがあると推計しています。また、IMF(国際通貨基金)は今年の世界の経済成長率が戦後最悪の0.5%の低成長にとどまるという見通しを発表しています。

ここで、わが国に目を向けてみると、昨年10-12月の実質GDP(国内総生産)の成長率がマイナス12.7%となり、1973年の第1次石油危機以来の大きなマイナスになったことが報告されています。ちなみに、米国はマイナス3.8%、ユーロ圏でマイナス5.7%であり、いかにわが国の経済が大きな打撃を受けているのかが理解されます。

この背景には、民間の設備投資や個人消費などの「内需」と、輸出の「外需」の急速で大幅な落ち込みがあります。とくに、貿易立国であり、米国に対する依存度が明らかに高いわが国にとって、今回の米国の経済不況や円高の為替相場などがもたらす外需の冷え込みは、大きなマイナス要因となっています。

そして、これらの事態が、最近とくに問題視されている、唐突な派遣切りや期間社員の半ば強引な解雇によって引き起こされる強い雇用不安を招いているのです。

さらに、昨今のわが国の政情不安が、これらの悪状況に拍車をかけているのが現状です。

このような経済の閉塞状態を、いわゆる「グローバル資本主義」の破綻と受け止める見方や、「市場原理主義」の限界と見たりする見解が目立つようになってきています。

すなわち、金融資産が投資家の投機の対象となるに及んで、それが一人歩きしてしまい、「実体経済」との致命的な乖離(かいり)がもたらされることになりました。たとえば先物取引などのような金融市場で取引されている商品としてのデリバティブはその象徴的なもので、実体経済以外で開発されています(ここで改めて実体経済とは、市場で取引される財やサービスからなるGDPなどで表されるものです)。

また、自由市場を万能とする考え方に基づいて国有企業を民営化することなどの施策がとられ、様々な局面で規制緩和が断行されたわけですが、その結果、すでに多くの指摘があるように、格差社会がもたらされてしまっています。

このような事態に直面して、私たちはどのように行動すべきなのでしょうか。

いずれにせよ、現状が一夜にして改善されるような、有効な打開策はどうやら望めそうにもありません。
私たちはしばらくの間、現状の厳しさに耐えざるを得ないことになりそうです。じっさい、どんなに早くても来年の後半まで、今のような状況が続くのではないかと予測されてもいます。

しかし、別な見方をすれば、私たちは、今回の出来事を、現代の、他者を顧みない効率ないし利益重視の風潮に対する強い警告と受け止める必要があると思います。

さらに批判を恐れずに素朴な言い方をするならば、こうした「弊害」を改めるには、過剰なまでの「欲望」を上手にリードする社会の構築が志向されるべきでもあります。

そもそも、経済学は、「欲望の科学」であり、経済資源が有限であるのにもかかわらず無限に抱く人間の欲望を正しくコントロールすべきミッションがあるのです。ちなみに、1972年には、民間のシンクタンクであるローマ・クラブによって『成長の限界』が発表され、資源そして地球の有限性に注目して、地球上の成長は将来的に、限界に達するということが警告されています。

それでも、いま直面している経済的な問題を解決しなければなりませんが、たとえば規制緩和の弊害を是正するために規制を強化することが、市場の活力を奪いかねない「諸刃の剣」でもあることが分かっています。このように、現状打破の「処方箋」は容易には得られないのです。

飛躍しますが、けっきょく、すべては「ヒト」に帰着するのです。事業構造の転換をいち早く実現するのにも、有能な「ヒト」の存在が不可欠です。その意味で、「ヒト」を「モノ」と見なすいまの傾向は残念でなりません。

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